首里城などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして世界遺産に登録されている今帰仁城跡(なきじんじょうあと)。
美しい石垣の城壁が約1.5キロメートルにわたる壮大な眺めは圧巻です。
標高約100メートルの丘から、海と城壁を望む絶景スポットとしても知られています。
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1.世界遺産の美しいグスクに心を奪われる
今帰仁城跡があるのは沖縄本島の北部、本部(もとぶ)半島。
那覇空港から車で約1時間半、沖縄美ら海水族館からも近く、観光名所の多い場所です。
まず赤瓦の今帰仁村グスク交流センター内にある券売所でチケットを購入しましょう。
大人400円、小中高300円、小学生未満は無料です。
首里城に次ぐ大きさを誇り、城壁が囲む敷地の広さは約4ヘクタールもあります。
実物の約1/100の大きな立体模型。
実際は植物に覆われて見えませんが、模型のおかげで城壁に沿って志慶真川(しげまがわ)が流れていることが分かります。
この地形も難攻不落といわれた所以のひとつです。
世界遺産認定のマークが刻まれた石碑。
今帰仁城跡だけで世界遺産に登録されているわけではなく、首里城をはじめとする他の8つ遺産とともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして登録されています。
またグスクとは沖縄独自の城のことで、沖縄では「城」の字を「グスク」とも読みます。
13世紀頃、沖縄が琉球王国に統一される以前、北山・中山・南山の3つの国に分かれていた時代に、北山の国王が住んでいたのが今帰仁城跡です。
美しい城壁は、屏風(びょうぶ)型の曲線を描き、突き出た先から敵を四方八方に攻撃できたため、防御性に優れた難攻不落の城といわれています。
城壁を横から見ると、突き出た部分が直線に並んでいることが分かります。
この造りも高い防御性にひと役買っています。
また不揃いの石が複雑に積み上げられた石垣は、「野面積み」という最も古い方法で、石の自然な形を利用して積み上げられています。
石垣に使われているのは古生代(こせいだい)の石灰岩。
その呼び方の通り、2億年以上も昔の岩で、中からアンモナイトの化石が発見されたこともあります。
本門の平郎門(へいろうもん)をくぐって城壁の中へ入ります。
趣のある石畳道に沿って、植えられているのは桜の木。
日本一早く咲く桜、カンヒザクラの名所としても人気があり、桜まつりが毎年1月頃に開催されています。
2.ちょっとマニアックな今帰仁城跡の裏側へ
石畳道を進むと左側に大隅(うーしみ)と書かれた小さな看板があり、それを目印に中へ入ると、かつて乗馬訓練が行われていた開けた場所があります。
大隅にある幻の洞窟穴。
今は金網で塞がれていますが、城から外へ出るための抜け道として使われたといわれています。
何かあったときには国王が逃げ出すために、この穴を使っていたのかもしれませんね。
石畳道をさらに進むと右側に、当時の人々が使っていた旧道が残されています。
曲がりくねった大きな岩の谷間を利用した狭い道で、敵が攻め入りにくい造りになっています。
足元が滑りやすいので旧道を通る方は歩きやすい靴がおすすめです。
3.最初の見どころ!御嶽(うたき)のある大きな広場
登り終えたところにある大庭(うーみゃ)。
当時はこの広場を取り囲むように、正殿と北殿、南殿の3つの建物があり、お祈りなどの行事に使われていたそうです。
志慶真乙樽(しげまおとだる)の歌碑。
志慶真乙樽は、城の南にある志慶真村に住んでいた乙樽という女性の名前。北山王の側室で絶世の美女だったといわれています。
歌碑には「今帰仁のぐすく 霜成の九年母 しじま乙樽がぬちゃいはちゃい」と刻まれ、北山王が60歳頃の老年に待望の子どもを授かったことから、霜が降りる時期、季節外れに実が熟する九年母(くにぶ)という品種のミカンに子どもを例えて、乙樽が子どもを城(ぐすく)で可愛がる様子を歌っています。
城内には2つの御嶽(うたき)と呼ばれる神様を祀る聖域があり、その一つ目の御嶽が「ソイツギ」。
今は木に覆われて見えませんが、御嶽は両方とも琉球七御嶽のひとつである「クバの御嶽」の方角を向いています。
ちなみにパワースポットとして有名な斎場(せーふぁ)御嶽も琉球七御嶽のひとつです。
4.海と城壁を一望できる絶景スポット
今帰仁城に仕える女官たちが生活していた場所で聖域とされる御内原(うーちばる)。城内で最も開けた場所です。
ベンチがあって景色を眺めながらゆっくり過ごせるようになっています。
城壁のほぼ全てが見渡せ、やんばるの山々から伊平屋島(いへやじま)、伊是名島(いぜなじま)までを一望できる、おすすめの撮影スポットです。
眼下には先ほど訪れた大隅(うーしみ)が広がっています。
二つ目の御嶽の「テンチジアマチジ」。
男子禁制で女官たちによって祈りが捧げられていた城内で最も神聖な場所です。
今も地元の方が参拝し、今帰仁ノロ(女性の祭司)によって祭祀が行われています。
かつて、ここには霊石があり、北山の守護神として崇められていましたが、北山王が最期に城を守ってくれなかったと、霊石を刀で斬りつけたそうです。
またその刀で自害しようと試みましたが、刃が切れずに志慶真川に投げ捨てたという言い伝えが残されています。
投げ捨てられた宝刀「千代金丸(ちよがねまる)」は現存し、国宝として那覇市歴史博物館に展示され、そのレプリカを今帰仁村歴史文化センターで見ることができます。
今帰仁城跡の半券で入館可能なので帰りにぜひ立ち寄ってみてくださいね。
北山王が住んでいた主郭の跡。城内で最も中心的な建物があった場所です。
眺めのいい高台にあり、周辺をよく見渡すことができたと考えられます。
北山が滅びた後、琉球王府から派遣された監守が住んでいた建物跡が残る場所。
火神の祠(ひのかんのほこら)と、その前に北山今帰仁城監守来歴碑記が立っています。
北山今帰仁城監守来歴碑記は、17世紀頃のもので、歴代の監守の名前が刻まれた県指定の文化財。
また火神とは台所や火を司る神様のことで、監守が首里に引き上げた後、監守の住居にあった火神を移して祀るために作ったのが火神の祠。
現在も中に火神が祀られています。
5.難攻不落の城を攻め落とした英雄伝説
北山王に仕える身近な人々が住んでいた志慶真門郭(しげまじょうかく)。
発掘調査で4つの建物が発見され、子どものおもちゃや器、刃物などの生活雑貨が出土したことから家族単位で暮らしてしていたと考えられています。
志慶真門郭からの美しい眺望。近代的な建物がないので昔からほとんど変わらない眺めなのではないでしょうか。
北山王も見たかもしれない景色に歴史のロマンが感じられます。
城壁が崩れ落ちているところが志慶真門跡(しげまじょうあと)。
城の裏門にあたるここから敵に攻め入られ、北山は滅びたといわれています。
難攻不落の城を攻め落としたのは、後に琉球王国の初代王となる尚巴志(しょうはし)に仕えた武将の護佐丸(ごさまる)。
曽祖父が先代の今帰仁城主で、後の北山王に討たれたことから、北山王は一族の宿敵でもありました。
そんな因縁の戦いと北山の最後を現在も伺い知ることのできる重要な場所です。
6.城外のおすすめお立ち寄りスポット
隣接する今帰仁村歴史文化センターでは、今帰仁城跡をはじめ、今帰仁村の歴史や文化を学ぶことができます。
今帰仁城跡の半券で入館可能なのでぜひ足を運んでくださいね。
発掘で出土した陶磁器などを展示。今帰仁城主の墓やノロ制度についても紹介しています。
宝刀「千代金丸」のレプリカは必見!北山王が自害した際に志慶真川へ投げ捨てられ、後に海岸で回収されたといわれています。
レプリカだからといってあなどるなかれ、その精巧さは目を見張るものがあります。
今帰仁城跡の西に望むクバの御嶽。山全体が聖域で沖縄最大の御嶽です。
参拝するためには険しい山道を登らなければいけないのですが、第2駐車場の向かいのスペースに四角の石の香炉が設けられており、登るのが難しい方はそこで参拝することができます。
今も地元の人の信仰を集める今帰仁城跡。見どころが豊富で絶景が楽しめるだけでなく、琉球王国になる以前の歴史まで色濃く感じることができます。
沖縄本島を旅するなら、絶対に行っておきたい観光スポットのひとつです。
Photo&text:金城 絵里子
(取材:2020年10月)
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住所: 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101
電話番号: 0980-56-4400
料金目安: 大人400円/小中高生300円/小学生未満無料(団体10名以上は大人320円/小中高生240円)
営業時間: 8時〜18時(最終入場17時30分)※5~8月は19時まで(最終入場18時30分)
定休日: 無休(新型コロナウイルス感染症予防のため臨時閉館あり)
駐車場: あり
店舗詳細URL: https://www.nakijinjoseki-osi.jp/