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旧海軍司令部壕

1939年(昭和17年)に開戦した第二次世界大戦。沖縄はその戦争の末期に、日米の間で唯一の地上戦が行われた場所であり、お年寄りや子供など多くの県民が戦争に巻き込まれました。

「旧海軍司令部壕」は、旧日本海軍の重要な軍事拠点であった小禄飛行場(現在の那覇空港)を守るために作られ、その司令部が置かれた場所。現在は沖縄戦を語る貴重な戦跡として、多くの人々が訪れる地となっています。

目次

1.第二次世界大戦末期 沖縄戦の際に旧日本海軍の司令部が置かれた、3000人の兵の手により掘られた地下壕

沖縄本島南部に位置する豊見城市。照りつける日差しと美しい海を見下ろす丘の上から一変、そこから地下へと伸びる湿った空気に包まれたトンネル状の階段を、105段・約20メートル下った先に、その空間はあります。

旧海軍司令部壕|地下壕へ延びるトンネル状の階段

旧海軍司令部壕は1944年(昭和19年)に日本海軍第226設営隊(山根部隊)3000名によって掘られました。

壕の長さは当時450メートルもあったと言われております。

カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと坑木で固め、敵軍の艦砲射撃に耐えながら持久戦を続けるための地下陣地で、4000人余の兵士が収容されていました。

旧海軍司令部壕|人力によって掘られた事を示す展示物
旧海軍司令部壕|実際に用いられた「つるはし」

この壕の特徴は、全てが「人の手」で掘られているところです。

当時はハイテクな機械設備もありませんので、もっぱら「つるはし」や「くわ」などによって掘られました。

旧海軍司令部壕|人力で掘られたとは思えない、長い通路

兵士たちが不眠不休で掘ったつるはし一本一本の跡には、当時の兵士たちの苦労がしっかりと刻まれています。

この壕は当時最高機密とされていたため設営に民間人は参加しておらず、地域住民がこの壕に近づいた際は、兵士に追い払われたとの逸話が残っています。

1944年(昭和19年)の8月に着工し12月に完成しましたが、一説によると沖縄戦の最中も未完成だったとも言われています。

2.壕内には「自決の跡」や当時の幹部が筆で書いた文字が残る「司令官室」など、75年前の痕跡が今に伝わる

旧海軍司令部壕|自決された時の手榴弾の弾痕

激しい戦闘が行われていた沖縄戦。

兵士たちは普段は学校や大きな民家などで生活をし、空襲の時だけ一時的に壕に逃げ込みました。

しかし、敵軍が上陸してからは、連日のように艦砲射撃や空襲があり、やむなく壕に逃げ込み暮らすようになります。

壕内は湿度が高く、しかも大勢の人が収容されていましたので、呼吸だけでも大変だったそうです。

旧海軍司令部壕|戦時中の壕内の様子を書いた展示物

戦闘が激化してからは病人や死体も一緒という過酷な環境。

兵士たちは戦闘がやんで、壕の外で新鮮な空気を吸う瞬間こそ「生きている」ということを一番に実感したそうです。

旧海軍司令部壕|司令官室

旧海軍司令部の司令官 大田實少将が使用した「司令官室」。

壁面には「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり(天皇陛下のために戦い死ぬことができれば、日本人として生まれてきた甲斐があるというものだ)」いう、大田司令官の辞世の句が残されております。

また、戦争により沖縄県民がいかに苦しんでいるのか、その実情を深く理解していた大田實海軍少将が、自決を前に打った電報「沖縄県民斯ク戦ヘリ」はこの司令室で書かれました。

この電文が、沖縄県民の命を賭した献身を後の世に残します。

「沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。」

旧海軍司令部壕|手榴弾での自決の跡が残る司令官室の壁

壕内では、人々が手榴弾を使って自決した悲惨な現実の跡が、今もなお色濃く残っています。

3.献花台が常設されている慰霊の塔のある、歴史を学び平和を祈る場所

旧海軍司令部壕|海軍慰霊之塔と仁愛之碑

1945年(昭和20年)6月13日、大田司令官や多くの将兵が壕内で最後を遂げました。

そして7月2日、連合国軍が沖縄戦の終了宣言をおこないます。

「鉄の暴風」と言われた沖縄戦はこうして終わりを迎えました。

この戦争による死者は、日米両軍と民間人を入れて約20万人、沖縄県民は実に4人に1人が亡くなったとされています。

旧海軍司令部壕|海軍慰霊之塔

そして、1958年(昭和33年)に、亡くなった兵士やその家族を弔い、その遺族を励ます意を込めて、沖縄海友会により海軍慰霊之塔が建立されました。

旧海軍司令部壕|壕内で医療室として使われていた空間

「旧海軍司令部壕」は悲惨な戦争をなくし、恒久平和を願う戦跡地として、1970年(昭和45年)3月に450メートルあった壕内の内、300メートルの区域が復元され一般に公開されるようになりました。

今を生きる私たちは、ほとんどが戦争未体験者です。

学校現場においても「戦争体験者がほとんどいなくなっており、先生自身が戦争のことを子供達にどう教えていいのかわからない」というのが現状です。

そうした問いかけに対し「戦争の無言の語り部」として公開されている「旧海軍司令部壕」。

旧海軍司令部壕|全ての命が尊ばれる世界になりますように

「人の命は何より尊い」。そして何より「全ての命が尊ばれる世界になりますように」。

普段私たちが何気なく過ごしているこの「平和」は、実はとても大切であり特別なものです。

私たちはその「平和」について、改めて深く理解する必要があるのだと思います。

沖縄から世界に向けて平和を発信する戦跡地「旧海軍司令部壕」。

是非一度訪れてみて下さい。

Photo&text:松本 圭樹

(取材:2020年1月)

住所: 沖縄県豊見城市豊見城236

電話番号: 098-850-4055

料金目安: 大人450円 小人230円(一般)/大人400円 小人200円(団体)

営業時間: 8:30〜17:00(10月〜6月)/8:30〜17:30(7月〜9月)

定休日: 年中無休

駐車場: あり(全車種対応/無料)

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