仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)の墓

宮古島の中心市街地に面する、平良港を見下ろす丘に鎮座するお墓が、「仲宗根豊見親(なかそね とぅゆみゃ)の墓」です。

また仲宗根豊見親の墓のすぐ隣には、宮古アントマ(側室)の墓や、知利真良豊見親(ちりまらとぅゆみや/仲宗根豊見親の三男)の墓があり、現在ではこの三つのお墓が国指定の有形文化財となっています。

リゾートだけではない、宮古島の歴史に触れながら、ゆっくりと史跡巡りの旅を楽しんでみてはいかがでしょうか?

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目次

1.昔、宮古島を制覇していた仲宗根豊見親(なかそね とぅゆみゃ)が、父親のためにつくったお墓

仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)の墓|史跡の全景

15世紀末から16世紀初頭にかけて、宮古島の支配者として君臨した仲宗根豊見親が、父である真誉之子豊見親(まゆのふぁとぅゆみゃ)の霊を弔うために、築造したと伝えられているお墓です。

また仲宗根豊見親の「豊見親(とぅゆみゃ)」は、首長を敬称した言葉で、「豊見親」は褒め称えることを表しています。

2.墓の中に井戸までついた宮古島最大の巨大なお墓

仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)の墓|

墓室の前面には13段の階段が設けられ、まるで小さなピラミッドのよう。

そして上部前方には7つの大きな石柱が立っています。

115坪の敷地につくられた巨大な墓は、墓室の四方を石垣で囲って西側に出入口を設け、庭の北側には井戸(降り井)まで造られました。

井戸の階段を降りると、なんと現在でも水が残っています!すごいですね!!

3.琉球王家との深いつながり

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宮古のお墓は主に「ミャーカ式」と呼ばれる風葬墓地なのですが、仲宗根豊見親の墓ではこのミャーカ式と、沖縄本島などに多い亀甲墓という横穴式墓地の構造を組み合わせた珍しい造りです。

仲宗根豊見親は、琉球王家に忠誠を示していて、この墓は、そんな宮古島と琉球王家の当時のつながりを感じさせてくれます。

この仲宗根豊見親の墓は、美しい遺跡であるとともに、宮古島の文化や歴史、そして琉球とのかかわりまでも知ることのできる貴重な史跡です。

次回の宮古島旅行では少し趣を変えて、ゆっくりと史跡巡りを楽しみながら、遥か昔に想いをはせてみてはいかがでしょうか?

text: Nozomi Shimoji

Photo: 大島康生

(取材:2021年3月)

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住所: 沖縄県宮古島市平良字西仲宗根3-4

駐車場: なし

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