琉球王朝時代の村役場を再現した建物が、道の駅として活用されています。
室内は当時の空気感を残しつつ、静かで心安らぐ空間。
常駐する観光案内人の方々の、ホスピタリティあふれる対応に感銘を受け、リピーターになるお客さんも多いそうです。
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1.番所は琉球王朝時代の村役場
琉球王朝時代、現在の市町村にあたる行政区域は間切(まぎり)と称されていました。
番所は間切を管轄する役所で、現在の市町村における役所や役場にあたります。
厳密にいうと、間切の範囲は現在の市町村と完全に同じではありません。
たとえば現在の読谷村は「読谷山間切(ゆんたんざまぎり)」と呼ばれており、隣接する恩納村の一部や嘉手納町の一部も含んでいました。
かつての喜名番所は、現在の読谷村より広い、読谷山間切を管轄する役場であったわけです。
ところで「番所」は正確には「ばんじょ」と読みます。ただ、慣例的に「ばんしょ」と呼んでもかまわないそうです。
現在の喜名(きな)番所は、かつての読谷山間切番所であったわけですが、1897年(明治30年)に名称が「読谷山間切役場」に変わります。
さらに1908年(明治41年)になると、市町村制の施行によって読谷山間切は読谷山村となったため、役場も「読谷山村役場」となります。
戦前の読谷山村役場の写真が残っていて、当時の姿を伝えています。
これが第二次大戦時まで存続します。
しかし、1945年の沖縄戦によって焼失してしまいました。
読谷山村役場には本棟や農会などの建物がありましたが、すべて燃え尽きてしまったのです。
門の石柱には「讀谷山村役場」と書かれた木版が貼られていて、行政機関だったことがわかります。
戦後の1949年、米軍が撮影した航空写真なども参考に、役場の本棟が再建されます。
ただしそれは、元の場所にではありませんでした。
戦後、喜名番所のあった場所は役場として再建されることはなく、村の史跡となったのでした。
2.世界遺産登録をきっかけに建物を忠実に復元
つまり戦後長らく、現在の場所には建物が存在しませんでした。
それが一変したきっかけは、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の世界遺産登録です。
2000年に登録されたこれら9ヵ所の遺産群には、読谷村にある座喜味城跡も含まれていました。
世界遺産登録によって、首里城をはじめとする関連遺産群の綿密な調査が行われます。
そのために国から多額の予算が下りました。
しかし、もともと地元の歴史や文化を尊重する気風の強い読谷村では、登録以前から独自に座喜味城の調査や修復を行い整備が進んでいたため、それほど予算を必要としませんでした。
そこで、国から下りた予算を使って番所を復元することにしたのです。
しかし、復元には困難がともないました。そのひとつが灰色瓦です。
沖縄では赤瓦が有名ですが、喜名番所にはもともと灰色瓦が使われていました。
この再現が難しかったのです。
それに取り組んだのが、首里城の屋根瓦も手がけた奥原崇典さんでした。
奥原さんは、本島中南部でよく見られる粘土質の土「クチャ」を使い、赤瓦よりも高温の1080℃で焼くことでその再現に成功しました。
また、建物の柱などに使われるチャーギ(イヌマキ科の常緑高木)の入手も困難でした。
それだけの太さのチャーギは沖縄県内では手に入らないため、宮崎県産をなんとか手当てしました。なお、壁には杉材が使われています。
ちなみに、喜名番所の建物にはクギが使われていません。
琉球伝統の貫木屋(ヌチジヤー)という木造の建物になっています。
その上に、水を通しにくい灰色瓦がのり、貴重な建物を守っているというわけです。
発掘調査が行われ、灰色瓦が多く出土したそうです。
これは現在も喜名番所の建物内で展示されています。
クチャを高い温度で焼成した灰色瓦は水を通しにくいため、木造建築物の寿命を延ばす効果があるそうです。
国道58号線のすぐそばにあるのですが、緑の木々に囲まれ、騒々しい世間から隔絶されたような空気感が漂います。
屋内はチャーギの柱など、木の温もりいっぱい。
ドライブ中の休息にもピッタリで、観光パンフレットなどもそろっています。
専門学校の生徒さんが割りばしやマッチ棒で作ったという喜名番所の模型が展示されています。
建物の全容をつかむには最適。
3.物品販売のない休憩所兼観光案内所
道の駅喜名番所には、他の道の駅にはない特徴があります。
それは飲食物を含む物品販売を行っていないこと。
ではどんな役割を持っているのかというと、休憩所と観光案内所です。
クギを使わない琉球伝統建築のヌチジヤーは、中に入ると非常に静かで落ち着いた空間を演出します。
ときどき地元の小学生たちが来て、静かに宿題をしていることもあるそうです。
もちろん観光のお客さんが訪れても、非常にゆったりと休息することができます。
かなり広い座敷もあります。もちろんこちらも休憩利用可。
小学生たちがここで宿題をすることもあるそうです。
また、ここでは地域の歴史や文化を学ぶこともできます。
読谷村は座喜味城をはじめとする歴史や、読谷山花織(よみたんざんはなおり)、焼物といった文化の宝庫。これらの一端に触れることができるのも道の駅喜名番所の魅力のひとつです。
喜名番所の移り変わりを説明するパネルがあります。
この中には黒船のペリーがここを訪れた際の様子を描いた絵もあります。
ここのトイレは便所と称しています。
プレートは読谷村内に工房を持つ琉球ガラス作家で、現代の名工の稲嶺盛吉さんの作品。
便所の手洗いボウルや壁のタイルにはやちむん(陶器)が使われていて、ある意味ぜいたくです。
便所の入口ののれんも、現代の名工である新垣隆氏の手による藍染めです。
座敷に三線とともに鎮座するシーサーも現代の名工・新垣榮用さんの作品。
また常駐する観光案内人が、読谷にある観光スポットについてくわしく説明してくれます。
その話には、たとえば座喜味城の城郭に角がないのは、造った護佐丸が和の心を重んじる人だったからとか、やちむんの里は昔不発弾処理場だったのを当時の村長がかけあって返還してもらってできた、などといった貴重なエピソードも聞くことができます。
4人いる観光案内人のひとり石嶺あいらさん。
「木の優しさに包まれた心なごむ場所。ぜひおいでください」と話します。
資料も豊富にそろっていて、読谷村内の観光の前にここで情報を収集すると楽しく回ることができるでしょう。しかも、この施設を利用するのに料金はかかりません。
休憩も観光案内人の方々のお話を聞くのも、すべて無料。ぜひ立ち寄ってみたいものですね。
text: 吉田 直人
Photo:根原 奉也
(取材:2020年8月)
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住所: 沖縄県中頭郡読谷村喜名1-2
電話番号: 098-958-2944
料金目安: 入場料:無料
営業時間: 9:00~18:00
定休日: 年末年始
駐車場: あり
店舗詳細URL: https://www.vill.yomitan.okinawa.jp/facilities/post-36.html